本来大事なことである、家事・掃除や片づけですが、ときに面倒だと思ってしまうことがあります。
そうしたときにする家事は、ひとつひとつを取り掛かる際に、「これが最後」と思ってやるように工夫しています。
家事は大事なことである
生活、暮らしのこと、日々、そして家事といったこと全般。
時々読む、松浦弥太郎さんの本では、そういった暮らしが大事であるということが多く書かれています。
「確かにそうだよなぁ」と。
もともと一人暮らしをしていたときから、「家事は面倒だな」と思っていたところがあったのですが、「それが大事」という考え方を知って、暮らしや生活が生きるベース、そして仕事があるという風に考えるようになりました。
物を片付けること、拭き掃除や皿洗い、洗濯など。
しかしながら、いろいろ考えることがあるとき、なんとなく疲れていることはあり、そういった場合にはどうしても家事が面倒に感じてしまいます。
家事は、一度リズムに乗れば続くもので、それに乗せることがコツだとも思っています。
そのための工夫が、「この一つが最後」というやり方です。
「このひとつが最後」
ついつい面倒だなと思ってしまうものとしてあるのが、お皿洗い。
ひとつひとつをきれいにしていくことで、気分が良いものですが、取り掛かるまでに遅れが出てしまいます。
そうしたときは、「このひとつが最後」と思って、ひとつひとつでやめにしようと思って取り掛かるようにしています。
一度目は、これでやめるつもりでお皿に手を付けます。ひとつめが終わったらどうでしょうか。
案外、一度始めてみると、流れで数枚はいけます。
そして、再び面倒だなと思ったら、「これが最後」に切り替えるというわけです。この繰り返しでやると、結構うまく進みます。
こうした家事は、ひとつひとつの集積で、こう考えることで出来ることは多いです。
「うーん、面倒」と思ったら、「これで最後と思ってやってみるか」くらいの気持ちで取り掛かってみると、案外軽いもので、終えてみれば気持ちの良いものです。
仕事にも応用できる、「このひとつが最後」
家事のための「このひとつが最後」ですが、これは仕事にも応用できると思っています。
仕事でも、やはりルーチン的な作業はあり、「次、次」といった具合で進めていくというものは多いです。
それが好きであれば構わないのでしょうが、家事同様、面倒に思えてしまう部分があり、仕事でも「このひとつで最後」と考えて、取り掛かっています。
「このひとつが最後」は、長く続くような大きなひとつも、小さく切り取って、いくつかにしてしてまえば、その一個は簡単に取り掛かれるサイズになるという、考え方の工夫ですね。
マラソンを走っていて辛い時、「あの標識まで」と思い突き進むのと似ています。
生きることのベースである暮らし・家事から仕事まで、ちょっとした考え方の工夫で、うまくやっていきたいところですね。
たまには、こんなブログで。
編集後記
情報・ネット・仕事と、考えることが多い時ほど、家事を次々とやることでリフレッシュできます。
目の前を見つめる、自分の周りを固めるといった感覚です。
たまには、こんなブログも良いかなと思って、書いてみました。