自宅にいるときの、ちょっとした時間。
何をするでもない時間。
そんな時間には、いつも文庫本を読んでいます。
スマホではなく、文庫本。
スマホばかり見ている毎日だからこそ、パッと取ってサッと文庫本を読むことは大事にしています。
俺を形作ってくれた、文庫本たち
中学、高校、そして大学生までの間、割と本を読んでいました。
特に読んでいたのは、文庫本。
学生のときは自由に使えるお金が少ないので、安価で買える文庫本をよく買って読んでいました。
文庫本はサイズが小さくコンパクトなので、カバンに突っ込んでおいたり、ズボンの後ろポケットに入れたりして持ち歩いていました。
家で、外で、ちょっとした時間があれば、パッと取り出してサッと読んでいたものです。
今思えば、まさに文庫本に形作られたのだな、俺は。とさえ、思います。
いつも読んでました。
今も、当時ほどではありませんが、文庫本は読みます。特に、自宅にいるときのちょっとしたすきま時間には、読んでいます。
なんとなくスマホを見る、いじくるのが好きではないので、スマホばかりである日々、あえてスマホから離れるためにも、ちょいタイムに文庫を読むことをおススメします。
スマホではなく、文庫。自分を取り戻す。
スマホを見ている時間は、なんだかよく分からない時間です。
仕事で大事なことをメール入力したり、メモをしたりするのは大事ですが、特に意味もなく見ているのが嫌いです。
なんだか、よく分からなくなります。無意味です。
一方で、文庫本を読むこと。それは、自分を取り戻す感覚にいられます。
私の文庫本の読み方は、実は少し特殊かもしれません。
これは10年以上繰り返している方法で、なかなかやめられないことです。
自分にとってフェイバリットと思える文庫本を、繰り返し読むことをしています。
しかも、断片的に。
断片的に、取り出した本の文章を読む。
実は、新しい文庫本はここ数年、年に2・3冊程度しか読んでいません。
10年ほど前が10の割合だとしたら、いまは1割にも足りません。
というわけで、今読んでいる文庫本は、過去に読んで好きになった本。自分にとってフェイバリットとなっている文庫本です。
それを、少し特殊な読み方をしています。
その方法は、開いた適当なページの、適当なところから読みだして、読めるまで読む、というものです。
たとえば、フェイバリットである、
「僕が走るときに語るときに僕が語ること」という文庫本があります。村上春樹さんが語る、マラソンについての文章をまとめたものです。
この本は、大学生のときに住んでいた小岩駅の駅ビルに入っていた有隣堂で買ったハードカバー版から読んでいます。その後、文庫版が出たので、文庫も買いました。
文庫は読みやすいので、単行本を持っていても、フェイバリットなら買います。
パッと取って、サッと読みだすなら、どこから読むかは皆目見当がつきません。たまたま、開いたページの、たまたま目についた文字から読み始めます。
この読み方は、エッセイ集的な本はもちろん、小説でもやります。
またまた村上春樹作品でいくと、ノルウェイの森は20代のときに良く読んでいました。
沢木耕太郎さんの深夜特急は、擦り切れるまで読んで、実際にページがちぎれるくらい読んで、しぶしぶ捨ててしまうくらい読んでいました。
フェイバリットは、何度か通読しているので、どこからでも読めるのがいいです。話の筋、流れ、開いたページがどんなシチュエーションか分かります。
いきなり、物語や話に入り込める。
少し読み終わって、最初に読んでいたころを思い出しつつ、我に返る。
そうして、自分を取り戻す。
スマホを横に置いておき、文庫本を読む。そうして生きている。
案外、大事にしていることだったりします。
編集後記(きのうの野田)
きのうはMFクラウド会計をお使いの顧問の方と、定期ミーティング。
みっちりやって、1月分まで締めれました。
まだ2月4日だというのに、月次が閉まるのは、やはりクラウド会計だからこそです。もちろん、ある程度しっかり経理をするのは、ご本人ですが。
MF請求書を使って掛売上をMF会計に計上。入金は決済の処理をする。
これだけで、相当な事務負担は減ります。
税務顧問では、こうした支援まで含めてやっています。