先日書いたブログの編集後記で、「ねじを巻く」ということについて、少し触れました。
村上春樹さんの小説を読んでいるいると、目にする言葉です。
以前は村上春樹さんの小説をよく読んでいて、「ねじを巻く」という表現が好きでした。
先日、編集後記を書く際に、「ねじを巻く」を、ふと思い出して書いてから、最近ではそんなことも考えていなかったことに気付きました。
仕事・くらしのなかで消耗することもある日々、
「ねじを巻く」
結構大事かもしれません。
「ねじを巻く」ということ
「ねじを巻く」
村上さんの小説のなかで、出てくる言葉である「ねじを巻く」。
小説のなかでは、起きるとねじを巻いてから外出するという話が出てきます。
この表現は、解釈の違いはあるかもしれませんが、回復する・規定値に戻すといった意味でもあるのかなと、私なりに解釈していました。
仕事・くらしのなかで日々を過ごしていると、消耗することもあります。
頭や体が疲れるのとは若干異なり、ふと気づいてみて、「消耗したなぁ」という感覚です。
こうやって消耗したとき、私なりに、「ねじを巻く」ことをしたくなるわけです。
先日のブログで編集後記にて「ねじ巻き」に触れてから、ねじを巻いてみました。
私にとっての「ねじを巻く」
私にとっての「ねじを巻く」は、今も昔も同じです。
書店に寄って、本を読むでも買うでもなく、店内を歩きながら様々な本を手に取って、パラパラみてみたりすること、です。
実は、学生の頃はこれが好きでよくやっていました。
学生のときは、しょっちゅうねじを巻いていたわけです。
まぁ、学生のときは暇だったし、何をするともない日々が学生だと思っているので、その時はその時で良かったと思っています。
こうやって、書店でフラフラしていると、落ち着きます。
先週、久々に「ねじ巻き」を思い出してから、書店に寄って30分やってみました。
やってみると、なんとなく落ち着きます。何かから回復し、規定値にまで戻った感がありました。
最近は、仕事で消耗したりすると、走ってリカバリーすることが多いですが、インドアも良いですね。
私にとっては書店でふらっとが「ねじ巻き」ですが、なんでも良いと思います。
それぞれ「ねじ巻き」はなんでも良い
ここまで、「ねじを巻く」について、書いてみました。
私の場合は、昔よくやっていた書店でふらっと「ねじ巻き」でしたが、人それぞれなんでも良いでしょう。好きなこと、落ち着くこと。
おしゃべりするもよし、映画を見るもよし、散歩もよし。
学生のころ、街を当てなく歩くのも好きでしたね。これも「ねじ巻き」だったのでしょう。
ちょっと消耗したな・・・というとき、休むだけでなく、ねじを巻いてみるのも、手かもしれません。
編集後記
昨日は帰宅途中にジムに寄って5キロ走って、帰宅後、砂漠レースの続きを見ていました。
最後、ラスト10分で終わるところで、どうしても眠くなり、翌日繰越としました。
今夜見ます・・・!