先日、「自分が源泉」という本を読み終えました。
タイトルを見て分かるかもしれませんが、すべてのことは自分が源泉で起きているという考え方について、触れている本です。
自分が源泉というのは、当たり前のことだけれど、そう認識することはこれまでにない考え方のような気もして、新しい気づきがありました。
今日は「自分が源泉」を考えてみます。
自分が源泉という考え方
人のせいにしない。自分が悪かったと考える。というのはよく聞く言葉です。
小さいときに親からそう言われたこともあったような気もしますし、今でもよく言われているような気がします。分かってはいても、どこかで俺じゃない・・・あれのせいで、あいつのせいで、と考えてしまう自分がいます。
この「自分が源泉」という考え方は、基本的にはそういったことであるようです。
本の内容は、「自分が源泉」という考え方をビジネスのシーンで活かすことの意味を、その考え方と実際にあった出来事をもとに紹介されています。
仕事がうまくいかないときに、すぐに外的要因がそうしていると思いがちですが、その外的要因すら自分が作り出しているというところまで進んで、自分に原因をあたってみる。
そうすると、やはり何かしら思い当るようで、余程に理不尽なことでも自分に原因があるのかもしれないという、自分主体で考え、行動するということが書かれています。
なにか失敗した、理不尽なことがあったときに、「これは自分が悪い」と即座に思うのはなかなか難しいし、癪に障る部分がないわけでもないので、「自分が源泉」という、自分のもやもやを飛び越えたところで考えられるこの言葉は、腑に落ちるような気がしますね。
最近はよく、「自分が源泉」と思うようにしています。
新しいなにかを始めるときにも「自分が源泉」
「自分が源泉」は、なにも自分に非があると考えるばかりではなく、自分主体で考えるということも「自分が源泉」で考えることができるようです。
新しいことを始めるときは、障害となることをひとつひとつ潰していくかと思いますが、その過程で、これは突破するのは難しいということもあって、そういうことがあることで何となく諦めてしまったりということもあるかもしれません。
こういう場面で、突破出来そうもないこと、解決できそうもないことも、自分主体で自分に軸を持つことで「自分が源泉」という立場に立つことで、信念を通してトライしてみる。
自分の信念はどこに行った?という感じでしょうか。
こういった場面でも、「自分が源泉」は活きてくるようです。
偉大なひとは自分に軸がある
「自分が源泉」というのは、常に自分に軸があって行動することにもつながるかもしれませんが、偉業を成し遂げる人とか、自分の周りで成果を出すという人は一貫してそういう振る舞いをしている気がします。
そういう人は、常にそのことを意識しているのかもしれません。
自分はまだまだ、何か起きてからようやくそのことを思い出すレベルです。
当たり前のことなんだけど、難しい!
まだまだこれからです・・・!
編集後記
もう9月も真ん中で、夏もいつの間にか終わりの予感ですね。
夏は暑い中たくさん走ろうと思って用意していたアクエリパックや塩飴やサプリメントがまだ結構ある・・・。まだなんとか暑いうちに消費したいです。