ライフワークとして続けているいる事のひとつであるランニング。
長く続けているのは、定期的な運動のためだけではなく、考えすぎないようにするためでもあります。
考えすぎても仕方ない。そんなときに走る。
生きていれば、いろいろあります。その分、考えることも多く、時に考えすぎてしまうという事もあります。
仕事にしても、日々の暮らしにしても、家庭でも、人間関係でも、いろいろなことがあるし、想定外のことも多いものです。
考えることは良いことでもあるのでしょうが、考えすぎてしまうのは良いことではありません。考えることをやめるというのは、理屈ではいかないことでもあります。
私の場合も、時に考えすぎているときがあります。考えすぎると、行動が鈍ります。そんな時に、走るようにしているわけです。
そうして考えてしまうとき、軽く走ってくるだけで、頭は軽くなるし、シンプルに考えられます。
走れば軽くなる。シンプルに考えられる。
考えてしまうとき、走ることで得られる効果があります。
私の場合は、仕事や作業、掃除などで、「あれは気が重いなぁ」と思うときや、「これなかなか進まないなぁ」と思うようなときに、ランニングが効いているという印象があります。
具体的には、次に取り掛かる仕事がボリュームのある仕事であるようなときです。
そうした仕事に取り掛かる前には、「うまくやれるか?」という思いとともに、仕事の経路を考えたりするものです。
モノゴトは、考えても考えつくせません。極限まで考えて最適な解が出るようなことは、ほとんどないでしょう。ある程度まで考えたら、あとはすぐに取り掛かって進めることで、うまくいくのが仕事だったりします。
しかし、それでも余計に考えてしまう。そうならないようにするために、走ることが結構有効です。
そうした仕事が控えているとき、考えだす前に走るようにしています。5キロほど軽く流してくる程度でも、走り終わると頭がスッキリしています。それと同時に、さっきまで考えていたよりはグッと軽く考えられるようになっていることが多いです。
こうなれば、仕事にもすぐに手を付けられます。
また、これはブログを書いている人特有ではあるのでしょうが、ブログがどうしても詰まってしまって進まないというとき、書くのを中断し、走ってくると、頭が整理されたのか、スムーズに書き進めることが出来るということも多いです。
アレコレと考えてしまうとき、詰まって止まってしまうときなど、走ることで、頭が軽くなり、シンプルに物を考えられるようになります。
複雑でなくなる→泥が取れるようなイメージ
考えすぎてしまうときは、考えすぎることで答えが出しにくくなっています。
だから、考えすぎて余計悩んだりしてしまいます。
走って頭がスッキリしたときは、そうして複雑に考えていたことが整理されてきたように感じられます。野菜を収穫したばかりで、まだ泥が付いているのが、とれて形がはっきり見えるようになるのに似ています。
私が走る理由は、この考えすぎないようにすること50で、残りの50が運動目的です。
考えすぎないことは、前向きであるとも言えます。
また、走ればこうした良い状態になるわけですが、いちいち走っているわけではないです。定期的に走っていれば、そういう状態がキープされているような感じですね。
ちょっと怠けている時は、なんとなく自分で分かります。「走った方が良いな・・・」と。
走る効果、結構大きいです。
編集後記
今朝は5キロほどランニング。
そこまで暑くなかったのですが、帰宅してから頭痛が。
朝食前にブログを書こうとするも、頭が働かず断念。
走るのは良いとは思いつつ、この時期は気をつけたいです。