つい先日、仲間内で話をしていると、「今はそういう言い方はしないよね」といったような話になりました。
一昔前なら問題にならなかった言い回しだけど、今は別のオブラートに包んだ言い回しで言わないといけなくなっているというやつです。
その内容としては例え話として取り上げたので大した話ではなかったのですが、このやり取りを経て、最近オブラートに包むこと多いなぁなんて思っちゃいましたね。
ただ、何でもかんでもオブラートに包んではいけない気がします。
鬼怒川温泉にて
オブラートに包まれた日々
最近よく考えてみると、日々オブラートに包まれているという感覚がしています。
テレビなどのメディアでは、まさにオブラートに包んだ言い回しは必至でしょうし、少しでも間違った言い方をすれば直ちに大騒ぎになるし、意識していようがしていまいがオブラートに包むことを要求されている感じがします。
また、仕事やプライベートのなかでも、オブラートに包んでなにかを伝えるという場面は多い気がしますね。必要に応じて自分もやってしまっているのも事実です。
ただ、オブラートに包まなくても良い場面でもオブラートに包んでしまうのは、本当に物事を伝えるうえでは問題ありのような気がします。
当たり障りなく平穏無事に衝突する
オブラートに包んでなにかを伝えるときというのは、本当に伝えたいことを伝えるのには適していないでしょう。オブラートに包むなら、遠回し・比喩表現・たとえのように大幅に迂回して話をすることになるので、もしかしたら気付いてくれるかもしれないけど、もしかしたら気付いてくれないということになるかもしれないわけです。
たとえば仕事をしているときに、オブラート状況が生じることは多々あるかと思います。
取引内容のやりとりをしているときに、納期やスケジュール的なこと・価格面でのことの話をしているようなときに、オブラートに包んで話をするというのは想定されることです。
また、仕事の内容そのものではなくても、対人関係的なこと・「ひと」としてのことで言いたいことがあることもあるかもしれません。いろいろ雑であったりとか、待ち合わせやアポの時間にルーズであるとか、商談中にすぐに電話に出るとかといったことです。
仕事上伝えたいことで、もうちょっと、少しだけ変えてほしいというのであればオブラートに包んだ言い方でも良いかもしれませんが、本当に大事なことはオブラートに包んではいけないと思っています。
本当に大事なこと、伝えたいこと、変えたいことは、オブラート抜きでストレートに伝えるでしょう。
仮に、こういった重要事項をオブラートに包んで、「伝わったかな?伝わったよね!」と思っていて伝わっていない、あるいは了承していない場合に、トラブルになることはよくあることかもしれません。
まさに言った言わないの世界で、これで良かれと思っていたことが、逆効果を生じさせてしまうということになるわけです。
円滑に当たり障りなく、オブラートに包んで包んで・・・とやるなかで、最終的に意見の相違が生じていることに気づき、衝突するということになってしまいます。
なにかを進めるなかで本当に伝えるべきこと、言わなければいけないことはオブラートに包んで伝えてはいけないことも意識しておくべきです。
家族・友人・恋人関係でもオブラートはいけない
オブラートに包んでいけないのは、仕事だけではないでしょう。
家族や友人、恋人との関係においても伝えるべきことはしっかり伝え、そのうえで円滑に関係を続けていけるように思えます。
家族や仲の良い友人なら末永く仲良くやっていきたいところですし、恋人関係なら仲良く・今後どうなるかというところまで含めてオブラートに包まない会話を期待したいところです。
こういったプライベートの部分では、そもそもオブラートに包んではいけない気もします。オブラートに包む時点で何かの衝突・問題がすでに生じているのかもしれません。オブラートに包むなら、別のなにかを修正すべきかもしれませんね。
とはいえ、ある程度、「ひと」と「ひと」とのやり取りではあるので、オブラート抜き全開ではなく、過剰なオブラート包みはしないという意識が大事になってくるでしょう。
本当に伝えたい、こうしたいという思いを伝えるには、オブラートに包むのではなく、必要に応じてストレートな言い方もしていくべきです。
編集後記
ここのところ、読書熱が過熱しています。
今度のセミナーの準備という部分はある程度あるにせよ、そのせいか他の本も結構な速度で読み進めていますね。
読書熱は利用したいところです。
ブログ上にある、「読んだ本」を記録していくメディアマーカーの更新が途絶えていますが、近いうちに一気にあげます。いつもこれは一気あげか、あげていないでそのままという状況になりがちです・・・!