いろいろなものが便利になり、不便を感じることが少なくなってきた今。
そんな最中だからこそ、あえて不便を知るということに価値があると思っています。
不便→便利のレバレッジを体験した話
先日、夜飲み会に参加するという理由から、とある駐車場に車を止めさせてもらうということがありました。止めた車は翌日に取りに行くことにしました。
そこで、翌日の朝に、走って現地まで行き、車を取りに行くことにしたのです。
自宅から駐車場までは片道5キロほど。往復すれば10キロですが、行きは走って、帰りは車を運転して戻るということになります。
実は、これが不便→便利のレバレッジを実感することになったのです。
不便から一転、便利を強く感じる
その日は結構暑い朝で、5時半くらいに走り出しても、ダメージが来る日でした。
もちろん、アクエリアスパックを持って、サングラスを付けて出ました。
暑いなかでのランニングは、走るということから来る疲労のみならず、暑さからも消耗します。結構来ました。
とは言いながらも歩を進めて現地へ到着。
免許証と車のカギを持ってきているので、車は無事戻せることになりました。
軽くストレッチをして、車に乗って走り出すと、さっき走って来た道を一気に戻ることができました。それが、ほぼ座って小さな動作をしているだけで。
このとき、車の便利さを強く感じたのです。自分の力を使って移動してきた不便から一転、車の力を借りた移動に便利さを感じました。ちょっと感動的な部分もありましたね。
不便→便利のレバレッジ効果で、大きく実感しました。
便利なことばかりの今だからこそ、不便を知る意味はあると思います。
不便を知り、便利を実感する意味
普段、車で移動するルートを走って移動し、すぐに同じルートを車で通ることで、不便体験をすることができました。
こうした、普段は便利だけれども、本当は不便であるということは、時々体験しておいた方が良いような気がしました。
というのも、多くはもともとずっと不便だったものが便利になったもので、これまでそこから感じていた不便を体感することで養われる人間的なものがあるのではないかと言うこと。
また、通常時は便利で良いのでしょうが、有事のときには便利でなくなることも多いです。
災害等で電車が止まれば、長い距離を歩かなければいけない。
エレベーターで昇る高層階も、それが止まればすべて階段で昇らなければいけない。
といったようなところです。
いつもが便利すぎると、急な不便のときに、対応できなくなる可能性があります。
そのために、何でもない時から、意図的に不便を作って体験しておくということにも、意味があると思います。私が何でもない時に、不便と便利を感じたように。
いつも利用している便利は、慣れると当たり前になり、便利とも感じなくなっています。それだけに、一転不便となれば体がついて行けません。
不便を知れば強くなれます。
編集後記
今日は租税教育のシンポジウムに参加予定。
新しいライフワークのために、学んできます・・・!