皿洗いや風呂掃除、そして自分の靴の靴磨き。
一見面倒に思える単純作業が嫌いではなく、意識的に取り組んでいたりします。
単純であるがゆえに無心で集中できます。
その時間は心地よく、考えもうまく整理できることが多いです。
無心で集中できる時間は心地よい
単純作業をしているときの良いところは、その作業に無心で取り組めることにあると思っています。
お皿を洗うのであれば、食後に汚れたお皿をただきれいにする。これだけです。
洗う → きれいになる。
ひとつの行為に対してひとつの対価がすぐに得られる構図が悪くありません。さらに、それを家事で出来るというのも良いところです。
そんなこともあり、暮らしのなかにある、小さな単純作業が好きで、あえて取り組むようにしています。
集中して取り組むことで頭はそのことだけを考えて没頭できます。それ以外は考えません。これが、心地よいものです。
いくつものモノを見て、考えこなすことから抜け出す
一方で、普段の日常では、いくつものモノを見て、いくつものことを考え、そしてそれをこなすということをしています。
たくさんの情報も入ってきます。
そんなことで、頭が重いときもあれば、答えが出ないことを考えていたりすることもあります。あるいは普通に悩んでいたりすることもあるわけです。
頭を休ませる、何も考えないでいる時間を持つことが必要です。
そこで、単純作業で目の前のそれに没頭して取り組むことに意味が出てきます。
私が取り組んでいるのは主に、
・皿洗い
・風呂掃除
・靴磨き
日常的によくやっていることで、かつ単純に思えるものはこのあたりです。
風呂掃除についても、風呂から上がったあとにきれいにするという単純作業が、それだけに没頭させてくれます。
靴磨きも、ブラシでホコリをとり、汚れ落としで汚れを落として、皮のクリームを塗る。この三点作業を左右、集中して取り組みます。
こうして集中して取り組んでいる間は、それだけのことを考えていられます。
この間、悩んでいた・答えが出なかったことも、一度考えるのをやめるのですが、一瞬単純作業でそのことを忘れたことで、良い効果が得られることがあります。
考えていたことも、そこまで深刻でなかったと気づく
単純作業に没頭すると、それに取り組んでいる一瞬、考えていたことを忘れます。
集中してひと仕事終えると、また考え始めますが、さっきまで考えていたほど深刻でないと思えたりすることも多いです。
いったん離れて、なんとなく客観視できるからなのかもしれません。
また、良いアイデアや答えが見つからないときも、一度忘れることで案外かんたんに良案が浮かぶことも。
考えることの多くは仕事で、一部が家や暮らしのことです。
仕事は仕事をすることで解決するのが良いのでは?とも思いますが、あえて家事をすることが良いと思っています。家事だからいい。
せっせと次から次へと手を動かしているのは気持ちの良さもあります。
頭を休める、考えを整理したいなら、家事に没頭してみるのはどうでしょうか。
ちなみに、私の場合は洗濯は好きではなく、ちょっと単純作業からは外れます・・・。
編集後記
昨日は午前中、シェア利用している畑へ。
冬から仕込んでいるイチゴの鳥よけの設置、草取りなど・・・。
畑を後にして昼を食べて帰宅。その後疲れてがっつり2時間昼寝しました。
疲れて寝る、これが一番最高です。