多くの人と出会い、話し、仕事をしていると、いろいろな場面に出くわすことになります。
時間にルーズでいつも待たされてしまったり、約束を守ってもらえないということもあります。
そういったことがあったときは、「人のレベルは自分のレベル」と考え、自分が引き起こしているかもしれないと考えるようにしています。
「何なんだ、この人!?」はある
人と付き合っていくなかで、「何なんだこの人は!?」と思うことはあります。
時間にえらくルーズであったり、返事がいつまで経っても来ない、約束は守られないといったことをされることで、傷つくとともに、頭の中でつぶやいてしまいます。
こういったとき、仕事の相手であるとか、プライベートな場面でも割と大事なことを話したり、一緒にやっていく必要があるのであれば、変えてもらうようお願いしています。
しかしながら、それでも変わらないことはあります。
そうしたときは、自分が悪かったんだと考えることで解決するようにしています。
付き合う人のレベルは自分のレベルと考えます。
付き合う人のレベルは、自分のレベル
「付き合う相手のレベルは、自分のレベルと同じ」とは、よく聞く話です。
なにか心外なことがあったときは、自分がそれを引き起こしたと考えて、処理します。
もしかしたら、自分にもなにか不備があったのかもしれないし、自分の言い方が悪かったのかもしれません。そこまで含めて、相手のレベルは自分のレベルと考えます。
特に、それぞれ異なる人から、それぞれ同じようなことが起きているのであれば、自分に非がある可能性は高いです。
自分がそれを呼ぶようにしているから、それが引き起ってくるといった具合です。
付き合う人のレベルは自分のレベルと考えたら、自分がされたことについては、より一層やらないように気を付けます。少しでも、そういった場面に出くわさないように遠ざけるようなイメージで。
こうすることで、再度そうしたことがあったとき、より自分を客観的に見れ、状況を俯瞰できます。特に反応する気持ちも強くは出てきません。
これを続けていくと、自分のレベルが少し上がったのか、相手が譲歩してくれたのか、そういったことが減ってきます。
一方、相手を変えれば良いのでは?といった意見もあります。
しかし、人は変えられないです。
人は変えられないから、自分で変える
「人のレベルは自分のレベル」と考えることの意味は、自分が変われば周りの環境が変わっていくというところにあります。
というのも、人を変えようとするのは簡単ではないし、変えようと思えばバトルになる可能性もあります。変えよう変えようとした挙句、余計に悪くなってしまうという事もあり得ます。
人を変えるより、自分を変える方が圧倒的に楽です。結果、良い方に変わっていけば、自分も変わって相手も変わって、全体的に良くなっていくように感じます。
人は変えられないから、自分が変わって、変える。
文句ばっかり言っててもしょうがないですしね。
そう考えると、結構楽に思えることは多いです。
編集後記
昨日は個人申告の作成をしつつ、法人成りのための移動資産の計算のチェック。
夜は、新都心の紀伊国屋に行き、探検家で作家の角幡唯介さんの新著を購入。
私自身はアウトドアではないですが、冒険・探検ものが好きで、角幡さんの本は結構読んでます。昨日は、22時くらいから読み始めて、0時すぎまで読んでしまいました・・・。
今朝、少し寝坊しました・・・。