これまで割と多くの本を読んできて、ビジネス書のみならず、小説も結構読んでいます。
特に多く読んでいたのは10代後半から20代にかけてでしたが、今でもたまに読んでいます。
おそらく、小説を読む人というのは、そこまで多くはないのではないかと思います。(まわりで、小説を読む人が少数派だからですが、多くはないと思います)
それでも小説を読むのは、やはり自分なりに愉しい以外の意味があるからです。
小説を読む
以前はよく読んでいた小説も、30代半ばとなると、あまり読まなくなっていました。
小説は、ストーリーにのめり込んで、短期的に集中して読み込むことで、自分が主人公になったかのように話が進むことが楽しいものです。
これをやるには、やはり時間的な余裕、まとまった時間が必要だと思います。この理由で、小説はあまり読まなくなってしまったのです。
しかしながら、この2021年の夏は外出自粛ということもあり、暇を持て余しました。
「そうだ!小説読もう!」
というわけで、村上春樹作品のなかでも、近著である、「騎士団長殺し」を読むことにしました。
主人公が、小田原の山の上に住まうことになったというところから始まるシチュエーションも相まって、読みたい意欲が高まります。(ひとりで山小屋にこもって静かに読書をするようなことはしてみたいことです。理想と言うか)
そのようにして、一気に2週間くらいで上下巻計4冊を読み終えました。
やはり、小説は愉しいです。
ひさびさに小説を読み、やはり小説を読むことは意味があるな。と思いました。
小説を読む意味
ひさびさにストーリーにのめり込んで小説を読む最中、そして読んだ後、あることに気づきました。
心の平穏が保たれている。と
ふだん、日々生きて、仕事をしたり、生活をしていると、いろんなことを考えます。悩むこともあって、何かしら気がかりなことがあったりします。
人間はそんな風にできていると、以前に何かで読んだこともありました。構造的に、ネガティブなのでしょうか。
そんなこともあってか、常に能天気でいられるほど、タフではないです。
小説を読んでいるとき、読み終えた後のしばらくは、別の発想が浮かんでいました。
「まぁ、生きていると、いろいろとあるもんだな。そういうのを、一つ一つ対処して片づけていくのが、人生か」
仕事の糧というか、人生の糧というか。そんな風なことを思いついたわけです。
これぞ、小説を読むことで得られることで、愉しいということだけに留まらない、小説を読む意味なのかもしれません。
これが、ひとつの小説を読む意味なんだと。
小説のストーリーも、他人の人生
小説は、文字を追って、それを頭のなかで映像化して読み進めていきます。
文字で書かれるストーリーは一つでも、頭の中の映像は、読む人それぞれに違ってきます。人、それぞれの考え方や、感性が出てきます。
このことが、小説ではあっても、そのストーリーは他人の人生であって、それを疑似体験させてくれます。誰かの人生を、主観的に体験できるわけですね。
こうした体験をすると、
視野が広がる → 人生いろいろあるもんだなと思える
そうすると、なんとなく楽観的になるので、いろいろと楽になる。
ある意味、仕事や人生の糧になる側面もあり、小説は読んでいきたいものです。
10代後半、20代のときは、もしかすると、この効果に助けられていたのかもしれません。
若いときって、あることないこと考えたり、いろいろとあるものなので。自分の場合、視野が狭かったのかもしれませんが、小説が良い効果をもたらしていたようです。
というわけで、「なんで小説を読むんですか?」と聞かれたら、ここまで書いてきたように、答えます。
ひさびさにブログを書くにあたっての手記
本棚にある小説は、村上春樹作品ばかりです。読んだものは、全部とってあるからです。
あとは、名作の深夜特急もとってあります。高校生の時に読んで、たまに読み返しています。
こちらも、バイブルです。