「経営者感覚」という言葉があります。
働く人は、社長と社員さんそれぞれがいて、それぞれ違う役割、マインドで働いています。
社員さんに経営者感覚がないことを揶揄することがありますが、それはどうかなというのが、私が思うところ。
経営者感覚は持つべき人が持ち、必要がないなら持つ必要はないのではないでしょうか。
経営者感覚とは何か?
まず、経営者感覚とは何か?ということについて。
ここでいう経営者感覚とは、経営者らしいマインドや考え方のことを言います。
言うなければ、いつも会社のことを考えて、仕事とプライベートの境なく働くような感じでもあるかもしれません。
これをもってよく、
「うちの社員は経営者感覚がないのが多くて」
という話を見聞きすることがありますが、それには多少の違和感を覚えます。
というのも、経営者感覚というのは、経営者の感覚だからです。
社員さんには社員の感覚があり、そういう考えをもってそのマインドで働いているはずです。ある程度、まともであることを前提として。
となると、社員さんに経営者感覚を求めるのは、少し違うようにも見えます。
経営者には経営者。社員さんには社員さんの役割がある。
経営者感覚がないという話を見聞きするとき、経営者じゃないから経営者感覚がないのではないか、と思っています。
経営者ともなれば、それはもちろんタフです。
仕事をとらなければならず、交渉をしなければならず、お金の工面もせねばならず、資金繰りに気を配り、仕事の提供にも責任を持たねばなりません。
社員さんがいれば、労務や管理、コミュニケーションの問題もあります。
実際に手を動かすのは社員さんだったとしても、責任は経営者である社長にきます。
ある意味、社長の責務です。
ここまで抱えている自分がいる一方で、営業なら営業だけ、経理なら経理だけにしか興味がなく、それしかやらない社員がいると、どうしても経営者感覚がないと思ってしまうのも無理はないのかもしれません。
しかしながら、社員さんはあえて、経営者になることを選んでいないことを忘れてはいけない気がします。
経営者になるつもりがないから、経営者でなくて良いから、雇用で働いているのでしょうから。
もしかしたら、いつかは経営者に・・・と思っている人もいるかもしれませんが、会社はそうでない人で回っている部分も大きいです。
みんながガツガツして経営者感覚でいたら、そううまく仕事は回っていかないのかもしれない。。
そして、経営者感覚があるなら、すでに経営者になっているんじゃないでしょうか。
経営者感覚があるなら、すでに経営者になっている
経営者になるから経営者感覚があるのか。
経営者感覚があるから経営者になるのか。
そもそも経営者感覚とは、それぞれの経営者である社長が、それぞれ違うものを持っているはずです。
ひとえに、経営者感覚という決まった形があるわけじゃない。
どの形にしても、経営者感覚があるなら、すでに経営者になっているんじゃないでしょうか。
どうですかね。違うかな。
ひとりで税理士事務所をやっている私の仕事は、やはり社長ひとりの会社や、社員さん数名という規模の会社の経営者の方との付き合いが多いです。
顧問のミーティングでは、経理や税金のことはもちろん、今の仕事とこれからのビジョン、どういうスタイルでやっていくのが良いかといったことまで、いろいろ語りながら話を進めます。
皆、それぞれ経営者感覚をもってやられています。
そのなかで、「経営者感覚って、社員に求めるものじゃないよね」という話があり、そうだそうだと思いました。
私の場合はよほど小さいですが、小さな経営者感覚は持っているつもりです。
早朝や夜も仕事をしてしまうこともあるのですが、それは小さな経営者感覚。自分がやっていることだから成り立つものです。
これを、無理に押し付けて経営者感覚が足りないというのは違うでしょう。
いい意味で鼓舞するなら良いのかもしれません。ただ、今の社会を見ていると、それが違う方向へ行ってしまうのは嫌です。ブラックは、ダメですよ。
いろんな働く人がいる。
経営者感覚は持つべき人が持ち、必要がなければ持たなくていいのではないでしょうか。
編集後記(きのうの野田)
きのうは事務仕事をサクサクと処理。
確定申告の計算で気になることがあり、国税庁のシステムに一通り入れてみる。そして、納得。
夕方は来週の税務相談会で使う識別番号の登録で少し苦戦。
いろいろやった日でした。