仕事での問題を解決するために、本を読み、ヒントを得て対処するという方法があります。
そうしたとき、読むのはビジネス書でしょうか?
実はそうとも限らず、ビジネス書だけでなく、仕事の悩みは小説から学び取ることで対処できることもあります。
ビジネス書だけではなく、小説も読む
仕事で悩みが生じたとき、本を読むことで解決策を模索することはあります。
仕事であればビジネス書が王道でしょう。仕事で問題となる要点は、ビジネス書のカテゴリーで網羅されていて、自分の悩みにダイレクトに効きそうな本というのは、探せばあるものです。
しかしながら、ある意味では対症療法的な部分はあり、解決しては次、そして次、となっていくことも否めません。
それぞれの性質、特性に合った直接的なアイデアも良いですが、もっと根底の、どう捉えて、どう振舞い、対処するかといった根底的な部分を学ぶために、小説を読むことにも意味があると思っています。
あのときに読んだ本は、今でも自分を下支えている
仕事をしていれば、実に様々なことがあります。
単純に締め切りに間に合わせようと急いで仕事をする、アイデアが浮かばなくて考えて考えている、注文内容が細かくてしんどい、どうしても嫌な相手がいる、どう対応したら良いか分からない相手がいる、ミスをしてへこむ・・・。まぁ数えればキリがないです。
こんなとき、焦ったり、悩んだりするわけです。
ビジネス書で、直接的に対処するのもアリなんでしょうが、根底から自分はこうあるというものを持つことでも対応できることがあります。それは、小説から学び取れるものだと思っています。
今は年に一作、読むか読まないかといった状態ですが、20代前後から20代中盤にかけては、結構小説は読んでいました。
そのときに読み、今も読み続けているものに、村上春樹作品の小説があります。
10年以上前、その頃から毎年ノーベル賞の話題はあり、そのたびに書店に本は並べられていました。あるとき、「そんなに面白いのか?」と疑問を抱き、とりあえず全部読んでやろうと思って読み始めたのがキッカケでした。
当初の村上春樹作品は、デビュー作の「風の歌を聴け」から始まり、同一人物とも見える、ある若い男が、何作にもわたって主人公として登場します。
「風の歌を聴け」→「1973年のピンボール」→「羊をめぐる冒険」・・・
これらを大学3年か4年のときに、一気読みしています。
理不尽なこと、奇妙なこと、迷うことに対して、同じ人物を通して、対処し、同じように感じて、対応して解決する。これを数作、その時にしては結構なページ数を読むことで、自分がどう物事をとらえて、どう判断して、対処・対応するかの基礎的な部分が出来上がったような気がしています。
ある意味、あの物語が自分を下支えしているといった感じです。
あのシリーズは、若い男が主人公なので、自分と重なる部分があるなかで読んだことは大きかったのでしょう。そして、まだ新しいことを取り入れる時期真っ最中であったことも。
「まぁ、こう考えれば良い」「そんなこともある」「まぁいいや」
そう考えられることで、やり過ごすことができることも多いです。
私のこの例では、若いときに読んだ・多感な時期に読んだといった話でしたが、いつどんな小説を読んでも同様、得られることは大きいのではないでしょうか。
ビジネス書では得られない、体得して得られるもの
ある年齢までは、あれも・これも、と小説を読んでいました。
村上春樹作品から入ったので、もちろん「グレートギャツビー」も読みましたし、古典的なものも、いくつか読んだ記憶があります。
そして、今でも少ないながら読むことで、小説から得られるものがあります。
人の感情、感覚や感性は、喜怒哀楽で示され、それを読むことで自分に響きます。それが、小説を読んで学び取れます。
もちろん、話の面白さや、読んだ内容から直接学べる知見というものも貴重ではあります。
仕事で悩んだとき、壁にぶつかったとき、ビジネス書で直接効かせるのも良いのでしょうが、小説から学べることもありますよ、と。たまには小説を読むのもアリです。
そんなことを、久々に小説を手に取って読みだした先日、思ったわけです。
ただし、小説から学んで得られる効果は、後から効いてくるものだと思っているので、絶賛悩み中という段階で読みだすのではなく、余裕があるときに読み、効かせるべきときに効かせるという方法がベターなのではないでしょうか。
編集後記
トップの写真は、以前に読み、また読み返したいと思い購入した、「象の消滅」という短編集。
私が好きな話に、「最後の夏の芝生」というのがあり、これにも収録されています。
その他、おもしろい短編が何作も。これと、もう一冊出ているペーパーバック短編集「めくらやなぎと眠る女」の2冊を持って、ひとりで電車で旅に行きたいなぁ、なんて思っちゃいましたね。