自分はそれで当たり前と思うことも、ちょっと角度を変えてみると、違ったように見えることがあります。
先日ブログに書いた、SNS・ネット疲れについての記事で、Gmail通知をするかしないかという話がありました。
それを読んで、ブログを読んだ知り合いのひとりが、Gmail通知をやめることにしたと教えてくれました。
自分の当たり前と、誰かの当たり前は違う・・・
自分の当たり前は本当に当たり前なのか、考えさせられました。
Gmail通知は、当たり前にあるものだった
先日、SNSやネット疲れについてのブログを書きました。
SNS、ネット疲れは自分で防ぐ。意図的に繋がない、通知をしない自分ルールを持つ。
SNSやネットで疲れないように、自分なりに対策をしましょう。という話です。簡単に私がやっていることを添えて、書きました。
このブログを読んでくれている知り合いが、この記事を読んで、Gmailをの通知をやめたという話をしてくれました。
知り合い曰く、Gmailの通知は当たり前にくるものだと思っていたそうです。
スマホに変えて、Gmailがアプリで見れるようになってからずっと、通知はオンで、メールがくる都度、通知が来て反応していたということでした。
スマホに通知が来るようにするのは、基本的に即座に対応するためには便利なものです。
しかし、よくよく考えてみると、そんなにすぐに反応しなければいけないメールは来ないという判断に至り、通知を解除して、自分で確認しにいくことにしたそうです。
当たり前に思うことも、疑う余地はある
この話を聞いて思ったのが、
「当たり前は疑う余地がある」
ということ。
その方は、一日に何度もスマホにGmail通知が来るのが、多少うっとうしいく感じていたにもかからわず、それが当たり前だと思っていて、変えようとすら思っていなかったそうです。
変えたあと、特に支障なく、「もっと早く気付けば良かった」とまで言っていました。
本当はイマイチ勝手が悪いと思うようなことも、それで当たり前かと思って、そのままにしていることも多いです。
税理士なら、ペーパーレスやITを活用することで効率化することなど。
不具合があるように感じたり、支障があるようなことについては、すぐに変えたがる性格ではありますが、まだまだ自分の当たり前はありそうです。
変える価値があることは、まだまだあるなと。
当たり前に思うことは、少しずつ変えてみる
当たり前に思うことで、ちょっと不具合を感じていることをやめるときは、いきなりバタンとやめるのではなく、ちょっとずつやめて見るのが良いかもしれません。
Gmail通知をやめた知り合いも、一度通知を切ってみて、当初は頻繁に見ていたそうですが、そのうち必要性がないと判断して、一日に数回見る程度に落ち着いたそうです。
通知を切り、それで不具合が出るなら、また元に戻せば良いと考えていたとのこと。
当たり前にやっていること、当たり前に思うことは、なかなか変えられません。ただ、変えることで得られることは大きいです。
まずは、小さく。それから徐々に広げていく。そして、大丈夫そうならやめてみる。
一方で、うまくいけば新しい発見や楽しみが待っているかもしれませんしね。
自分では当たり前に思うことも、回りはどうやっているか見回して、ちょっとの違いを感じたのなら変えてみる価値はあります。
編集後記
けさは、5時に起床。ブログ下書き後、軽く近所をラン。
昨日は本を読んだり、夕方畑に行ったりなど。めずらしくゆったり過ごしていました。