「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル」という言葉があります。
良い習慣を継続するのは難しいものですが、この言葉をもってすれば、多くのことは乗り越えられそうな気がします。
「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル」
「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」という言葉があります。
村上春樹さんが、走ることについて書いた「走ることについて語るときに僕の語ること」という本の、前書きに書かれている言葉です。村上さんが、ある読み物で見かけた言葉だそうです。
前書きで村上さんも言われていますが、走るときに向き合う辛さとか、しんどいと思うことは、まさにこの言葉に集約されています。
練習にせよ、大会参加にせよ、スタートと同時に走り出し、ゴールまで走り続けると、どこかにタイミングで「あぁ、キツいな」「しんどい」と思うことがあります。
そうしたときは、別に足が痛いとか、けがをしたというわけでもないのですが、足が止まってしまったりするものです。
本当に足をけがしているときの痛みは避けられず、走るわけにもいかないのですが、ただただ苦しいという、自分が思うことに対しては、処置できるということ。
苦しいと思うのは、自分次第。
走ることも継続であり、継続には続ける苦しみがあります。
また、新たに始めようとする習慣についても、その多くは継続することは簡単ではありません。
しかし、「苦しみはこちら次第」と考えれば、続けられないこともありません。
継続に害はない。オプショナル=自分がどう思うか?
良い習慣は、なかなか続けられないものです。
たとえば、ダイエット。これは私にとって早急の課題でもあるわけですが・・・容易いことではありません。
ダイエットは、正しい方法で行うのであれば害はなく、むしろ健康です。「痛み」はないでしょう。それなのに続けることが難しいのは、「苦しみ」があるから。自分次第のオプショナルです。
欲求としてはもっと食べたいとか、歩くのでも運動が面倒であるとか、自分で思うところで、ダイエットはストップします。
「いやいや、痛みは避けがたいが、苦しみは自分次第」と思えば、責任は自分であって、続けないわけにはいきません。
続いて、ブログ。これは私に限って(やっている人はいますが、少数派だとして)のことですが、これも痛みはなく、苦しいから、続け難いものといえるかもしれません。
ここまで平日ペースで続けてきていますが、果てしなく続けることを想像すると、しんどいとは思わずにいられません。
「今日の分もようやく書いたのに、これから100も200も書けるか?」考えてはいけないのです。自分次第のオプショナルは、考えないようにしていたから、ここまで360記事といえども、書くことができたといえます。
そのほか、良い習慣を継続するとき、「うう・・・やめたいかな」と思ったら、そのストッパーは「痛み」なのか?「オプショナルである苦しみ」なのか?自問することで、壁は超えられそうです。
オプショナル苦しみがどこにあるか知っておく
痛みは仕方ないことで、ケガ・病気・不健康やモラルに反することはやってはいけませんが、苦しみは自分が思うところであり、乗り越えて継続していきたいところです。
苦しみを超えるということで、どこに苦しみがあるのか事前に把握しておくことも、壁をうまく超えるキッカケとなりそうです。
たとえば、早起き。
早起きは、目覚ましがなって、止めた直後に「ふらっと」と再度の眠りが降りかかります。さらに、一度起きるも、起きるか寝るか迷うと、再度「ふらっと」きます。
早起きで苦しみに気付かずに起きようと思うなら、目覚ましがなったら止めて、間髪入れずに起きることです。
このポイントでつかまると、いまだに二度寝にハマります。特に、この時期は寒くなり始めで、危険な頃合いです。
取り組みたい習慣について、「いつもここでやめてしまう。あれがきつくて・・・」というのがあれば、それに気付かないようにするか、避けるようにして行えば、出来るコツにもなります。
究極的にはマラソンに関しての言葉ではありますが、考えてみると何にでも応用できる言葉です。
「痛みは耐え難いが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」いやはや、名言です。
編集後記
昨日と同じく、今朝も起きてからのブログ→少し走る、というコース。
普段はブログを優先するも、ぼちぼち走ることを優先しないとまずいので、いわゆる第一領域に格上げ。
とはいえ、調子に乗るとすぐ風邪をひくので、そこは気を付けつつ、ですね。