1月1日から、日経新聞の一面で特集している「断絶を超えて」が興味深く、連日読み込んでいます。非常に面白い記事でもあります。
ここで特集している断絶とは、ものごとの変化・転換点をいい、これまで当たり前だったものが、新しいなにかの出現により脅かされ、それにとって代わることを指しています。
年のはじめから、変化・転換について考えさせられるなかで、ここでいう「断絶」は、社会としても・自己としても、見過ごすことができないことのように思えます。
当たり前が代わる、断絶
この特集でいう「断絶」とは、これまで当たり前であったものごとが、新しいなにかと取って代わるということ。この変化により、新しい産業が派生したり、これまで出来なかったことが出来るようになったりと、進化してしてくわけです。
もちろん、これと同時に、過去の産業は衰退していってしますわけですが。
この特集のなかでされていたものとしては、
・馬車から蒸気機関車への変化
・ガソリン車から電気自動車への変化
・ガラケーからスマホへの変化
・中国製造単価高騰に伴う新しい動き
などなど
いずれもこれまで当たり前とされていたものが、新しいものに代わられています。
しかも、以前であれば、この「断絶」はある程度長い期間をもって起きていたところが、最近・そしてこれからは徐々にそのスパンが短くなっていくということも書かれていましたね。
ソフトバンクの孫社長をはじめ、早い意思決定と新しい分野への先見の目をもって、即座にこうしたことに対応することへの重要性が説かれています。
しかしながら、ほとんど多くの場合は、ここでいう「断絶」に気付いていても見過ごしていたり、見て見ぬふりをしてやり過ごすということは往々にして行われています。
この記事では、大きなくくり、経済・社会として「断絶」を取り扱っていますが、私たちのまわりの小さなくくりでも、気付いてか気付かずしてか、この「断絶」に対応していないことも多々あるように感じます。
日々に潜む小さな「断絶」
小さな断絶。
これは、日々過ごしているなかで、本来はどうにかしなくてはいけないことであったり、変えなくてはいけないことのなかに潜んでいます。
手を付けるべきことは分かっているけれど、動けない・動かない。
仕事の場であれば、効率の悪いシステム・ルーティンを本来はどうにかしなくてはいけないのに、そのまま放っていたりすること。同業他社は新しいシステムを導入して、これまでの非効率を解決しているかもしれません。
あるいは、ある業務についてはIT化が待ったなしなのに、そのまま不合理にアナログでいたことにより、顧客が離れてしまったり。
業種の大小問わずあることでしょう。「断絶」とは、手遅れの状態になったとも見ることができます。
思うに、特に税理士含め士業は、こういった仕事内における新しいアクションを起こすことが不得手のように感じます。
そうしたことに行動を起こすことで、変わることもあるでしょう。変わらなければそれまでです。
辞書的意味としては異なりますが、手遅れという観点から見ると、「断絶」は、個人たる自己にもあてはまりそうです。
自己内の「断絶」
なにか目標があって、そのためにアクションを動かさなくてはいけないという状況。よくあることだと思います。
ただ、動かなくてはならないとはわかっていても、動けるわけではないですよね。
そして、動かないまま時が過ぎて、動くことすら忘れて、その目標も忘れる。
動いていれば大きく変わったかもしれないことも、動かないでいることで忘却の果て・・・。
動いていれば身に起こるはずであったことも、消失してしまう。
時間軸は動いているんだけれど、自分軸は動かないでいるので、時間軸として遠くに消えてしまう感じでしょうか。
あるいは、暴飲暴食をしていて、不健康だとはわかっていてなにかをしている。周りには咎められているのに聞く耳を持たない。そしてそのうちに健康を害してしまうとか。
いずれも、「断絶」のように見えます。
自分で知るか知らずか、どちらにしても自己内の断絶です。
自分も、自分を取り巻く状況も、経済も社会も、常に「断絶」は一歩先にあると思うと、見過ごせない。さらには見て見ぬふりなんかできない気がします。
この、「断絶」という表現。めちゃくちゃパンチのある言葉ですね。ズシっときて、ついついブログに書いてしまいました・・・!
でも、意識しておくべきことだと思います。早速、身の回りの「断絶」はないか、探しています。
編集後記
今日は午後から、今月行う租税教育教室の打ち合わせのため小学校へ。
先生といろいろと話してどう話すか方針決めしてきました。
とはいえ、大人に話すのとは180度違うので、これからしっかり練らないと・・・!