少し前の金曜日、友人の社労士数人と飲みに行ってきました。
そこで、労務や社会保険のことを聞きつつ、税金について話すという、まさに情報交換をしてきました。
その場で、ふと最近開業したというひとりが、
「自分はなにを提供できます、っていうのがないんだよね。みんなと同じなんだよね」
というようなことを話しだしました。
話はさらに続くのですが、この、なにができるかという議論、実は結構あるものなんじゃないかと思っています。
自分は、なにができるか?
ある飲み会の場で、友人の社労士が、「自分はなにができるだろうか?」と話し始めました。
話を聞いてみると、経営者の方から仕事の申し込みがあって、初回面談をするときに、「先生は何をしてくれますか?」と聞かれることが多いそうなのです。
この、「何をしてくれるんですか?」、聞かれることがあります。
しかし、単刀直入に聞かれると、言葉に詰まってしまうこともあります。
この体験を何度かして、友人の社労士は、この話をしてくれたようでした。
さらに話を聞くと、社労士である自分が持っている労務や社会保険の知識は、みんな知っていることだと考えているようなのです。
それに対して、
「いやいや、会社の社長さんでも、しっかり知ってる人は少ないよ」
「俺も社労士2年勉強したけど(落ちたけど)、それでも結構分からないし」
などのアドバイスを掛けつつ、十分できることはある、という話が続きました。
同時に、友人の社労士は、最近開業し、社労士会に顔を出すようになり、多くの社労士と繋がるようになったそうです。
この、同業士業とつながりができ、日々専門的な仕事をしていると、自分と自分を取り巻く環境が当たり前となってしまいます。
これが、自分にできることを見えにくくしてしまうのかもしれません。
場合によっては、顧客に理解してもらえなくなる恐れもあるものです。
へたに専門性に埋もれると、二重のデメリットにハマる
日々、士業として、専門性の高い仕事をし、同業の士業と付き合っていると、その専門性の高い知識レベルが、自分のスタンダードになってきます。
社労士のみならず、税理士についてもいえることで、自分が知っていることが、みんなも知っていることであると、錯覚するようになってしまうものです。
この典型的な例が、顧客に対して、専門的な用語を多用して話してしまい、相手が理解してくれないと、士業自身が苦しむというパターン。もちろん、顧客も不満です。
自分はそれを知っているし、相手もそれを知っていると思って話してしまう。
これと同時に、先般の友人の社労士は、多くの社労士との付き合いができたことで、年配の社労士先生との差を感じてしまい、自分にできることが分からなくなってしまった。
へたに専門性に埋もれると、自分の強みを押し出せなくなるし、顧客に理解もしてもらえなくという、二重のデメリットにハマってしまいます。
士業が同業者レベルで自分を見てしまうと、自分のできないことが際立ってしまいます。
また、顧客に対して専門家レベルで話をすると、話は理解してもらない。これは士業の側のみならず、顧客の側が一番困ります。
士業として、誰しも、自分の強みとして提供できることは、結構あるものです。
自分ができること
自分が知っていることくらい、周りの士業はみんな知っていると過度に考えてしまうと、なにも提供できなくなってしまいます。
このように考えるのではなく、自分が少しでも得意と思うことが、相手にとっては大きく期待していることかもしれません。
少しでも得意・好き・スキルであるとすれば、それが自分ができること、強みになります。
ものを知っているという尺度で考えると、自分が難なくできることは、他の誰もが難なくできるような感じを覚えてしまいがいちです。
実はそうではなく、自分が詳しい知識や、できることに対して助けを求めている人は、どこかにいるはず・・・。
それを、顧客に対して、「私ができること」として、説明すれば良いというわけです。
自分ができて、相手ができないことなら、詳細にゆっくり、わかりやすく説明するはずですから、顧客にも不満は出ないでしょうしね。
私なら、「とにかく、分かるように話す」「とことん話す」ということでしょうか。
それなら誰でもできると言われてしまうかもしれません。(笑)
しかし、自分ができることの突破口は、それくらいのレベルで良いのではないか、と思うのです。
編集後記
トップの写真。フリスビーを自分で投げて、走って自分で取るのも、少しできるならできることです・・・!
走るのと同時に、フリスビーも久々に開始しようかと。
詳しくは、過去の記事に書いています。
勉強、仕事・・・完遂しなければ意味がないこともある。過程か結果か?両面を考えてみる。