毎日やっているルーチン、決め事のようなことがいくつかあります。
必ずやることがあると、今日はいつもと違う、いつもと違った、という感覚の日がある。
その感覚はアテになるもので、今日はこうしよう、ああしようと決める頼りにしています。
同じことをしているから感じる、いつもとは違う感覚
4月から日めくりカレンダーを使っていて、毎朝起きるとまずはそれをめくることから一日が始まります。
一か月分の日めくりがあり、毎月・毎年使っていけるようなものです。
朝起きて、まずめくる。日付を確認する。
単純ですが、確実に毎日のルーチンといえます。
そんな毎日のルーチンとして続けていたなか、ある朝は起きた後、別のことをしてカレンダーをめくることを忘れていました。
いくつかすべきことを終え、6時半過ぎ。カレンダーに気付きました。
その日は朝一で用事があり、出来ることならブログなど、早朝のうちに終わらせておきたいと思っていて、多少慌てていたのでしょう。
カレンダーをめくっていないことに気付いたことで、そのことに気付けました。
多少なりとも慌てていると、いろいろ支障はでます。イライラしたり、人付き合いがうまくいかなかったり。
しかしながら、カレンダーめくりのルーチンがあることで、軌道修正ができました。なんとなくでも落ち着いて、あまり慌てないように努めます。
考えてみると、毎日同じことをしていることがいつもと違うのは、何かがいつもとは違うということになるものです。
なにかあったかな?と思い返してみました。
ルーチンでも、生活の一コマでも、違いは読める
毎日していることで、これは違いを感じることがあるなということはあります。
思い返すと、いくつかありました。
たとえば、このブログ。
ブログを書くときは、もちろんキーボードに打ち込んで入力しています。未だ音声入力というわけではありません。
となれば、手を動かします。
その手が、うまく動く日と動かない日があります。うまく動く日は、スムーズに流れていきます。一方、うまく動かず、ぎこちない日というのもあります。
動くか動かないかという小さな動作ですが、ここに決定打はあります。
疲れているか、疲れていないか、です。
うまくいくときは疲れがとれていて、調子よく動けます。その反対はしかり。
また、朝起きるときの感覚でも、十分読めます。起きるときの感覚をアテにしているという人は多いでしょう。
起きたとき、ちょっと頭が重いなと思えば、これも疲れがあるか、気分転換が必要かなと思えます。
私の場合、そんな朝であれば、朝一で取り掛かるブログは後回しにします。
走ったり、散歩したり、雑誌を読んだりして、気を紛らわしてみます。
自分の声は聞きとれそうで、聞き取れない
ルーチンにしても、日々の一コマにしても、いつもとは違う感覚が得られるということは貴重なことだと考えています。
というのも、自分の声は聞こえそうで聞こえないからです。
自分のことだから、自分がいちばん分かる。誰よりも。
そんな風に思いたいところですが、実際はそうではない。
自分では特に違いを感じていなかったのに、誰と会って、「ちょっと顔色悪くない?」と言われたり。
あるいは、「ちょっと太った?」
例外に、挨拶代わりに太ったかどうかの話をしてくる近所のおばちゃんがいますが、それは別として。毎日太ったかどうか聞かれると多少ムッとしたり・・・。
風邪も気付けばひいています。
意外と自分の声は聞きとれません。
そんななか、ルーチンや日々のなかで、いつもとは違う微差、違和感や違いには敏感にありたいところです。
なにか一つはあると思います。自分の声を聞いて、頼りにしてみましょう。
編集後記
けさは、4時45分起床。
猫のちびが朝から騒いでいました。何かいたのか、鳥でも通ったか?
起きてから様子を見に行って、いまは落ち着いて座っているという。単純に起きてくださいということかも。
昨日は事務作業。そして、新しいメニュー作り。近いうちにアップできそうです。