仕事をしていると、仕事が立て込んでしまうとき、面倒な仕事と向き合わなければいけないときなどあるかと思います。
そういったとき、「こなさなければ!」と思いがちで、私もそう思ってしまうことが多いです。
しかし、このこなす仕事は、いかに「こなさないか」が仕事のコツかもしれません。
仕事はこなされている
先日、近所の医院にかかりにいってきました。
最近は小さな医院・クリニックも結構どこも混んでいます。
それで、待合室で待っていると、次から次へと呼ばれて入って出てきて、また呼ばれて入って・・・と繰り返していきます。自分も呼ばれて入って、診てもらい出てくる。
こなしているなぁ・・・というのが正直に感じたことでしたね。
もしかしたら、本当は話しておきたいことがあっても話せなかったり、まだ説明しておきたいことがあっても「もういいよ」的な対応をされているのかも・・・なんて思ってしまいました。
そういうことはよく聞くことで、そういうときはがっかりもするかと思います。
まぁ次から次へと来る病人は見なければいけないので、そうもいってられませんが、仕事をこなすということを考えさせられました。
仕事はいかに「こなさない」か
仕事って、いかに「こなすか」という感覚になることが多いですが、いかに「こなさないか」というのが実は重要になってくるようにも思えます。
こなすというと、自分で始めようと思っても「やらされ」感が出ます。
やらされ感が出ると、仕事はうまくいきませんよね。
「やらされ」感を出さないためには、ある程度自分を客観的に見て仕事に取り組みたいところで、この客観的というのを動きで示せば、仕事はいかに「こなさない」かというところにつながるかもしれません。
新入社員の研修会みたいにも聞こえますが、仕事は主体的に意欲を持ってすることでうまくいくものです。
「こなさない」ということは、実際に作業部分を「こなして」はいても、主体的に意欲を持ってすることで「こなさない」わけです。
税理士の仕事は、お客さんの会社から資料を預かり、それを会計ソフトに入力する仕事もまだ多いです。そういう仕事をするときに、資料から完璧に分かることもあれば、完全に分からないこともあります。分かることはこちらで判断できますが、分からないことは聞きます。そして、判断に迷う微妙なこともあって、これに関してももちろん聞くようにしています。
こういう仕事のとき、「こなす」ことを考えてしまえば、微妙な判断を自分で勝手にしてしまったり、最悪の場合、分からないのに自分で判断してしまうこともあるかもしれません。実際にそういうことでトラブルになったということも聞きます。
とにもかくにも、仕事を「こなす」、と考えれば、それが何のための仕事で、それがどういうことのためになるのかという部分が曖昧になりますよね。
これは何でやるのか、主体的に考えて進めること、そしていかに「こなす」と意識しないかにかかってくるのかもしれません。
仕事は「こなせ」ばつまらない
仕事をするという美学というか、仕事に対する姿勢として、「こなさない」を考えてきました。
しかし、美学姿勢うんぬんというより、単純に仕事は「こなす」とつまらなくなります。
仕事はしんどくてつまらなくてナンボかもしれませんし、そういう場面も少なからずありますが、いかに「おもしろい」かも重要だと思っています。
やらされ感のある「こなし」仕事でつまらない・・・と思えばいくらでもドツボにはまります。
やらされ感のない「こなさない」仕事で、自分主体で目的を持ってする、というのが理想です。あくまで理想ですが。
とはいえ、社長ひとりビジネスであったり、一人でやっている税理士である場合には、それ相応の対価をもらっているというベースがあって、はじめて「こなさない」仕事ができるのですが、「こなさない」ために、そのベースを作るというのも手かもしれません。
日々、そのとき、雑務に追われると、疲弊します。
仕事は「こなさない」でしたいものです。
編集後記
昨日はセミナーの内容をまとめていました。もう少しで固まりそうです。
そして、夕方からは以前この編集後記でも紹介した大宮のおもちゃ店Toy-Toyへ。
知り合いの出産祝いなどを見てきました。