ブログを書く理由、意味については、これまでにも書いてきました。
いろいろなメリットがあり、そのために書くと。
そして、メリット云々に加え、もうひとつ書く理由があります。
それは、語りたいということ。
語るためのものとしてのブログ、語りたいならブログを書いた方が良いと思っています。
語ることは楽しい
語ることは好きな方です。
今ではすっかり減りましたが、大学のとき、税理士受験をやっていた時期はよく飲みに行っていて、あれこれ語ることが楽しかったのを覚えています。
学生のときや20代そこそこで若いときは、語ってナンボ、語る意味のあることから、語る意味がないことをあえて語るということまで、いろいろ語って良い時期です。
それが、後々の糧になる。チカラとなり、いつかの自分を助けてくれる。
時を経て、今は30代序盤戦。語る機会は圧倒的に減りました。学生時代を100とすれば、多くて15、20。それほどでしょうか?
最後に熱く語ったのは、税理士仲間と一緒に飲みに行った数年前。3人で飲みに行き、そのうちの一人と仕事について何やら語り出してしまい、残るひとりが静かに傍観していた・・・という記憶。
それほど、語る機会は減っています。しかしながら、やはり語りたい。
ブログがありました。
気付けばブログ、500記事を超えて、今日のブログが502。一応それなりに書いてきました。
当初、ブログを書こうと思ったときを思い出すと、ブログを書こうと思った理由の根底にあるのは、語りたいという気持ち。
特に深い意味はないのだけれど、語りたいと思っている人は少なくないのでは?
語りたいならブログを書くという手があります。
語ることと、ブログを書くということ
語りたいことがあるということは、あることについて思うところがあり、その理由を突き詰めたいとか、何となくモヤモヤしていることを晴らしたいということまで、実はさまざま。
語りたいと思っていたことでも、語り出したらそれほど深いものではなくて、語り出したところで、「やっぱ、いいわ。この話。いいから、いいから!」となることもあります。
語り切っても、語り出してからやめても、どっちにも意味はあります。どっちに転んでも、思うところは晴れます。
やっぱり、頭で考えていることは捉えどころがなく、形がつかめない。何となくの形態はざっくり見えても、実体は謎であることが多い。だから、頭で考えているだけはダメで、外に出した方が良い。
語ることには、そういう意味があります。若いときは抱えることが何かと多いので、だからこそ語ることが多いのでしょう。
もちろん、20代そこそこで熱烈に若い時期を過ぎても、やはり抱えることはあるし、思うところはあります。語る機会がなければ、積み重なっていきます。
そこで、ブログ。
ブログを書くことは、語ることと同じ効果があると思っています。語る相手はいないのだけれども、書きながら自分と語るので問題ありません。
語ること、話すこと同様に、思っていたことをブログで記事にした後は、結構とスッキリしていると思うことは多いです。
本当は誰かと飲みつつ語りたいと思うところ、ブログで書けば、語ることで得られる効果の効果部分だけ引き出すことができます。
そういう風にして書くブログというのも、良いのではないかと思っています。
語るものとしてのブログ。いいでしょう。
語るものとしてのブログは、読まれるのか?
私がブログを書くときも、もちろん根底にあるのは語りたい、という思い。
「これ、語りたいんだよ!だから書く」、だからが被りますが、だから書きます。
あくまで冠には税理士ブログというタイトルが当初から付いているので、税金についても書くし、経理についても書く。仕事についても書く。
情報提供という体は成していても、実は根底には語りたさがあったりします。
語りたさは、悩みだけだけではなくて、疑問やただただ語りたいというものまで様々。
そこで、話を戻して、語りたいならブログを書くのも良いよという話にバックします。
ブログは、読まれるもの。読まれるように公開して書くものです。これについて、一つ質問がありそうです。
「語るものとしてのブログ、読まれますかね?」というもの。
それに対しての答えは、
「大丈夫。大勢は読まなくても、誰かは必ず読みます」
ブログって、基本的多くの人は瞬間スクロールで、一秒から五秒くらいで流してトピックで読む人が圧倒的に多いです。
実際、私が誰かのブログを読むとしたとき、興味のあるテーマだったときも、気付けば瞬間スクロールをしている自分がいることに気付いたりします。
興味があっても、なくても流してしまうことが多い。そして、たまに文章まで読んでくれる人がいる。その、たまに読んでくれる一人がいてくれれば上等でしょう、という話です。
ブログは、基本的に検索で引っかかって、読まれることがほとんどです。今日のブログを今日読んでくれるのは、お母さんくらいです。
ほとんどは、ずいぶん後になってから読まれる。私がブログに設置しているブログアクセスランクを時々見ると、
「何をいまさら!?」
という記事がトップにきていることが多いです。まぁ、一番多いのはランニングGPSのSUUNTOの記事ですけどね。
語るものとしてのブログで大いに結構でしょうという話です。ブログを書いてみたいと何となく思っているのは、語りたいからなのかもしれませんよ?
あるいは、語りたいけど語れないというのなら、ブログをオススメしておきましょう。
始めるキッカケが欲しい、どう書けば良いか分からないのであれば、ブログを書いている人に相談してみましょう。ブログを始めることについて語れば、すぐに始められます。
今日のこのブログも、語るものとしてのブログについて語りたいという思いで書いています。少し長すぎましたが、500記事超え記念ということで。
編集後記
けさは、5時起床。雨の早朝、とても静かです。
先日、本棚を大幅に整理したときに、片づけつつ、久々に手に取る本を少し読むということをしていました。(これをやると片づけが滞るのですが)
好きな本で、本棚後方にあったために最近見ていなかった、村上さんの「職業としての小説家」がでてきました。
そして、それが今日のブログにも少し繋がっていて、「語るものとしてのブログ」
「・・・としての・・・」という言い回しが好きです。今日のブログで多用しています。